文化財の修復保存

文化財の修復というと絵画や彫刻、木造建造物などが思い浮かぶが、文化財保護法の改訂によって、その対象は拡大されて、広義の文化遺産として航空機、船舶、自動車、各種機械類、ダム、トンネル、橋梁なども対象になってきている。しかも関係筋の話によると軍事関係の施設だけでなく兵器も対象になってきているようだ。
そのために様々な博物館等の計画があるが、呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアムhttp://yamato.kure-city.jp/outline/outline.htmlは、当初の予想よりも見学者がかなり多いそうだ。会議室や研修室では以下のようなイベントが行われている。

第17回 近代の文化遺産の保存修復に関する研究会
呉市における近代化遺産の保存修復と活用」

主催: 独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所修復技術部

平成17年7月19日(火) 大和ミュージアム呉市海事歴史科学館)会議室

呉市は良く知られているように、舞鶴や横須賀などと並んで日本海軍の町であって軍民関係の施設が今でも多く現存している。呉市終戦と同時にほぼ総失業の町となったものの、海軍関係の隠匿物資も大量に残されており、これらの原因により大混乱になった呉市は飯干 晃一著で大変有名な仁義なき戦いの舞台になったことも良く知られている。

呉市内の調査地点としては、海上保安大学校呉市入船山記念館、IHI呉事業所・IHIマリンユナイテッド、(株)ダイクレ呉第二工場、呉市水道局本庄水源地・平原浄水場・宮原浄水場、二河上下井出跡、昭和通4丁目護岸、旧芸南電気軌道などが予定されているそうだ。昭和13年に国家総動員法が出る前からも実質的にコンクリートなどの建設資材は軍関係が押さえていたので、この時期に建設された建物はたとえ学校などでも、軍事施設として転用する計画があったので、大変立派な造りになっている。また立派なのにはもう一つの理由も考えられていて、昭和12年から14年ぐらいまでは日中戦争による積極財政によって景気が回復していたという説もある。
いずれにしろ大昔の話でもないのに(存命中の方も多いのだが)、戦前、戦中の事はおどろくほどわかっていないのだ。今までとは異なった意味で歴史を研究、反省しようという試みが始まっている。